製造初年1954年。
カルダン駆動,1C8M制御,発電制動,HSC,軽量車体,軽量台車といった新機軸をふんだんに盛り込んだ,中原急行初となる高性能電車である。2両固定編成で全車電動車編成。主電動機は75kwの小出力モーターであり,1C8Mで制御する。最高速度は110kmに向上,起動加速度も3.3km/hであり,高速性能と高加速性能を両立させている。
しかし全M編成のため,製造コスト,保守コストが増大し,経済性の点で課題があった。おりしも輸送量が著しく増大しており,経済的な車両が求められていたことから,1959年を以って増備は終了となった。
製造後は主に中原本線の急行運用に投入され,品川〜中原間を37分50秒(表定速度66.6km)で結んだ。当時としては隣接する小田急の急行と並ぶ駿足ぶりであり,都心から30km以上離れているにも関わらず,1960年代に中原地区・相模原地区で住宅開発が急速に進む一因となった。
その後,後の3000系と組み合わせ,4〜8両編成にて急行から各停まで幅広く運用された。
1970年代になると中原本線に5000系が集中投入され,2000系は多くが玉突きで宮ヶ瀬線に転出し,増結用編成として用いられることが多くなった。また,宮ヶ瀬線全通以前の相武線(淵野辺〜田名間)の旧型車の置換用として転出する車両もあった。
老朽化が目立つようになってきたこと,通勤用途に必ずしも合致していないことから,1984年から廃車が始まる予定となったが,同年の中原本線のダイヤ改正で中型車9両編成で運転されている編成の11両編成化が行われることとなり,廃車は一時延期することとなった。しかし寄る年波には勝てず,1988年以降,全検・重検切れの車両から廃車が始まり,1990年には遂に全廃された。 |